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愚人徒然の戯言

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2011.03.31 個人的未練メモ

昨今のHPに対する種々の事情かと思われますが、昨年後半より相次いで閉鎖予告の連絡が有りました。私自身も前記の通りHP契約容量の限界に近づいている事やHP構築のソフトが古い事から新しいマシーンでは走らない事等の問題に直面していましたので継続を断念致しました。
恥の上塗りを承知で10年間規則的な更新の継続に お友達の方々の励ましに支えられて自分なりに頑張ったつもりで、楽しい日々でもありました。
止めて何か気の抜けた思いがして寂しく感じております。
思い出に一応の総括をメモって置きたいと思いました。
個人的未練です。(>_<)ヽ 。
■2000年12月より2010年12月迄 
 毎月3枚1セット×4セット=12枚更新
 駄作写真合計  約1550枚
■BBS(4月一杯で会社側の事情にて閉鎖予告)
 有料ODT 4027欄使用・前版集中res(ご指導有り難う御座いました。)
■静岡新聞社HP(HP紹介欄・社の事情にて中止)
 写真・カメラ部門 
(注目度順 )
 1 「枯れ葉のように」
 富士・箱根・伊豆等の写真。
 BBS ■2010年11月分の更新させて頂きました。三島妙蓮寺
 の紅葉・重文江川

 2 富士さん/伊豆
 「富士さん千景」をめざして、20年余にわたって撮り続けて
  いる富士山の写真 伊豆の風物詩もあります。
                        
 3 e-styleフォトサークル 静岡市のモデル撮影会
                      (3月終了時)
■アクセスカウンター数
 #223012#
                   平成23年3月31日記
 ※Blog試行致しております。
  今後とも宜しくご指導ご交誼の程お願い致します。
 


2010.12.25 満10年に成りました。

「3年も続けられたら・・」と思って始めたHPでしたが、この25日で満10年を迎えました。「茅葺き民家」をメインとする超個人的な趣味のHPにも関わらず、沢山の方の友情に支えられここまで続けられた事を深く感謝致しております。ただかねてから危惧していた状況にきてしまったと思わます。下記に(3月31日)書かせて頂いた泣き事の様な事情が主ですが年々「富士」は元より写真を撮りに行く機会が億劫になる一方であるのも偽らざる現実です。10年一昔 やはり老いたのでしょうか。
今後は気儘にBlogとして続けさせて頂きたいと思います。
何卒今後とも変わらぬご指導とご交情の程切にお願い申し上げます。

2010.03.31 どこまで行けるのやら!!

無理に無理を重ね 恥に恥の上塗りを重ね 帳尻合わせをして無理矢理継続だけを最低限の目標として来た年月ですが 10年目に入いりました。しかしマシーンの調子は限界を感じる昨今です。又先にも泣き言を記させて頂きましたが私のHPはMac OS9迄しか起動しないHPソフトで作成してあるものですから本機が壊れたら 新たにマシーンを購入しても HP再構築し直すしか手が無いのが現状です。今でさえ順序よく飛ばない所ばかりですが それさえ修正するのが厄介で放って有る始末です。ましてや新しいマシーンを買って再構成など・・もうそんな根気も能力も有りまん。加えてHP用の契約スペース容量も限界に近づいているようです。途中で突然ダウンしたらリンク頂いている方々、毎月お手紙を頂く沢山の方々 このような事情とご理解頂きたく再度記させて頂いた次第です。ご無礼を働いてはと そればかり気になってなりません。ただその場合唯一近年流行のBlogでもやれたらと一応は考えてはおるのですが。はたしてその気力が残るかどうか自信が無いのが本音です。
いずれにせよ 宜しくご指導・ご交誼の程お願い申し上げます。 


2009.12.24 雪の茅葺き民家

 雪の茅葺き民家が見たい・・というメールを頂きました。
雪の茅葺きが風情があると言うご意見には何の異論は御座いませんが、ここ数年家主様とお話する度に雪の季節が如何に厳しいもので有るかを今更ながらに感じました。年々家主様も高齢化し 何処の地方もそうで有るように村に若者もいず「雪下ろし」する事が命がけであると言う事が大げさでないことをいたる所で感じます。「春の一番自然が活き活きとしている時、秋の自然が燃える時・・どうせならそんな時に撮ったらどうか?」更に「人の苦しみ 貧しさを撮るのは・・」とさえ初めて言われました。
これは私にとって衝撃でした。一体俺は何をやってきたのだろうと・。
弁解になってしまいましたが 今私はその建物が活気に満ちている春と秋撮ったものだけを選んで 四季を無視して更新しようと思っているのが本音です。お便りに反論するつもりは毛頭御座いませんが おっしゃった家主さんの言葉は現実感ある重みの有る言葉だと思いますし 私の激しい葛藤もお汲み取り頂ければ幸いです。

2008.12.24 また1年経ちました。

 また1年経ちました。近年1年の過ぎるのが異常に速く焦りさえ感じます。厳しい1年でした。一瞬の桜の季節、早く長い梅雨。そして厳しい暑さの夏。短い秋と突然の寒さ。何かカメラにも触れる機会がめっきり少なかった1年のように思われます。単に自分の体調や気力だけの問題なのでしょうか。1番の趣味であった釣りも、もう3年も竿を出さない始末ですから 老いから来る体力のせいかも知れません。ともあれ今はつまらないHPであっても8年も続けられた事をマシーンにも自分にも褒めてやりたいと思っております。今年も拗ねるマシーンをだまし騙しの更新でしたが 何とか1年もってくれました。去年もそんな気持ちでしたが この先どこまで続けられるか分かりませんが 少しづつ、不定期であっても続けられたらと願っているのですが・。来年が健康で平穏な1年である事を祈るばかりです。

2007.12.23 有り難う御座いました。

 この12月23日でHP始めてから満7年が経ちました。
当初は、3年位は続けたいものだと思っておりました。
5年が経ちその後は何か漫然と月末に成ると義務のような気持ちが生じ、ずるずると拙い写真の帳尻合わせをして恥の上塗りを続けてきてしまいました。月毎に当初からの構成の無理(3枚1組等)や計画性のないフアイル番号の設定等々次々に矛盾が生じ苦しみました。それもこれもPCへの無知と7年も続ける等と言う計画が無かったところから生じる無理押しの結果によるものでした。幾度びかもう止めようと思ったことも有りました。
でも7年続けられた事は幸せでした。「サンデー毎日」の小生にとって最低限の自堕落の歯止めには成ったように思います。それもこれもご指導・ご交情頂きましたリンクの方々、メール友達、シニヤー倶楽部、写真紹介サイト、各種ML、同級生、卒業生等々のご指導・励ましを頂いたお陰と深くお礼申し上げます。
 この先何処まで続けられるか。体力・気力何よりもマシーンの寿命が問題だと思っております。新しいマシーンに買い変える事は容易いことですが、それに順応する能力、気力はもう有りません。クラッシック環境に配慮が無いと言われるMacでの再構築等(現在のサイトは新しいソフトで作り変えなければ作動しないと言われておりますので。)もうとてもとも・・です。
今は7年続けられた事に満足と 重ねてご指導・ご交情を深く感謝申し上げる次第です。何処まで続けられるか疑問ですが、行けるところまで呆れずにご交情の程切にお願い申し上げます。   

2007.07.20 お詫びとお礼

 リンク頂いているとも知らず、ましてそこにご指導賜っている
 等想像もしておりませんでしたので 御礼も申し上げず失礼致
しました。許されれば 是非直接メール頂けますよう切に切に
 お願い申し上げます。現在アドレス変更検討中故あちこち検索
 致しておりましたところ出会えて嬉しく思っております。
 有り難う御座いました。
 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=500&o=17940&p=0
 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=500&o=17940&p=1
 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=500&o=17940&p=2
 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=500&o=17940&p=3

2007.04.20 桜・甲斐の名所名木→クリック

 (観光パンフレットより)
王任(わに)塚の桜(韮崎市)
 田園を望む丘に立つ推定樹齢300年のエドヒガンザクラ。

 (天気予報を確認して行ったが、現地は今年も曇りだった。
  右端に写り込む筈の雪の甲斐駒が・・・残念。 
  田圃を整地しての駐車場・・無料。親切な地域のボランティア
  整理さん等この桜に寄せる思いが伝わってくる。人は多いが、
  孤高な桜に感動。)

山高神代桜(北杜市)
 樹齢2000年とも言われるエドヒガンザクラの古木。
 1922年に桜として初めて国指定の天然記念物に。
 日本三大桜。新日本名木100選。実相寺の境内。
 
 (三回目の訪問だが 3年間の樹医の手当等有ってか樹勢を回復
  したかに思えた。観光バスをはじめ大混乱であるが、花の季節
  を避けてじっくりと対峙したい思いに駆られた。)

真原の桜並木(北杜市)
 750メートルの桜並木と残雪の甲斐駒ヶ岳が美しい対比を見せる。
 桜の両側に咲く菜の花や黄水仙も見事。

(尚近くの「神田の大糸桜」「清春芸術村」の桜も素晴らしい。
 今年も天候に恵まれず 甲斐駒ヶ岳 と噛めなかった事が残念で
 あった。)
 
about data;pentax645 /velvia100f/広角絞り優先f22/PL  
  


2007.01.30 爺ちゃんの海 →参考クリック

 「こんだけの物を こいで来るのに骨が折れる。軽トラだったら5分もかからにやあで もってこれるものを・」婆ちゃんは、坂道を振り返り何度も 繰り返し話した。爺ちゃんは 昨年春先までは元気で 沢山野菜も蒔いた。夏前のある日突然倒れ2ー3日病院で意識が戻らぬまま あっけなく旅だったそうだ。
婆ちゃんは 爺ちゃんに「有り難う。幸せでした。」って礼も言えなかった事をひどく悔やんでいた。
 婆ちゃんは向こうの入り江 今で言えば短いトンネルを4つ5つくぐった山向こうの集落からこの爺ちゃんの所に嫁いで来た。道の上側に10軒ほどの家が ほらっこに集まるように建ち裏側に山が被さるように迫っている。
 道の下側は岬まで直線で150メートルもあるだろうか 極めて狭い急峻な突き出しに 1つ1つが小さな段々畑が 海まで続いていて それを縫うように細い道が延びている。海までと言っても海からは10メートル以上もの断崖で 直接海辺に出る事は出来ない。海に出るのは今のトンネルの海側 そう婆ちゃんが嫁いで来た頃の海辺の厳しい山道の途中から下りれる所が 1ー2カ所あるそうだ。
 前面に○郎島があり その近辺は魚が集まる所で 今も時折釣り人が獣道をおりて行くそうだ。この集落に限らず この辺りで田圃を見た事が無い。昔どんな生活を余儀なくされたかは 想像に余りある。今は海岸縁の木が大きくなり○郎島が 畑の畦を横切って 木立の隙間から覗かなければ見れないが 当時は 夕日が赤く海を染め 島がシルエットに浮かび上がる頃は 爺ちゃんと畑仕事の手を止めて飽きず眺め、それから帰るのが 日課だったそうだ。爺ちゃんは 評判の働き者だった。それに花が好きで 畑の隅にはいつも花が絶えなかったそうだ。「わしにゃあ分からないが 歌も好きで詠んだ。村の会報に載った事もあるで。」婆ちゃんは ちょっと得意そうにそう言って 振り返って海を見つめた。国道が通り 観光客があちこちの温泉に流れ込んで来た。
逆に何処にでもすぐ出掛けられるように成って便利に成った。
でも、「住むなら今でもここが1番だと思うよ。また爺ちゃんの所に嫁いで来るさ。」そうも爺ちゃんに言いたかったとも・・・。
 
 私は この「爺ちゃんの海」の落日を撮りたいと 度々挑戦するのだが 未だ木立が 微妙に遮って撮れずにいる。 
 

2006.01.28
山梨県・忍野村の茅葺き民家   
参考観光施設クリック→
 

茅葺き民家の集落と言えば 真っ先に上げねば成らぬのは 富山の五箇山を含めた国際文化遺産岐阜の白川郷で有る事は当然であるが、京都の美山町も驚くべき数で有る。未だ150軒は、有るだろうと言われている。滋賀のマキノ町、福島の大内宿(全部民宿)や館岩村(近年有料に成ったとか)、新潟の高柳町や大島村等々が有名である。その他全国には私などの知らない多くの素晴らしい集落が有るに違いない。山梨の忍野村もカメラが趣味の人なら富士山のメッカで誰でも知っている所の1つである。ただ此処も近年茅葺き民家は急激に減ってしまった。ここ2ー3年でも5ー6軒が近代建築に立て替えられた。元々観光施設、蕎麦屋等の食事所、復元保存住宅、その他民宿等も多い所であり、純粋に民家と言えるお宅は、極めて少ない。大観光地なのである。雑誌などで富士の前景に置かれている茅葺き民家は、忍野八海の観光建物である事は余りに有名である。私もかつて富士を撮りに 人真似をしに行っててみたが 上手くは撮れなかった。昨今この村で純粋民家を探すのは寧ろ難しいのが、本音だ。それでもしょっちゅう通りかかるものだから 何年も何回も同じ建物を撮ってしまう。好きだからとしか言いようが無い。いやどうにも納得がいくものが撮れないと言うのが、本当のところだ。冬、雪の季節に撮れるのは、私にとっては極々限られた地域だ。中でも忍野は 最も貴重な地域なので大切にしたいのだが、今年も どうにも寒くて雪の民家の撮り直しが出来なかった。残念だが仕方ない。これからもとり直しを重ねて 少しは良いものを撮りたいものである。それまで1軒でも多く残ってくれる事を願うばかりだ。 

2005.09.19 迷惑メール 

 昨今の所謂迷惑メールの多さには、もう消すのにも辟易している。
先月は、1日50通位だったと思う。今月は、遂に100通を越える有様だ。大半が出会い系で、他は雑多な内容のようだ。ウイルスが恐いので 一括消去したいのであるが、中に2~3通程度貴重なお手紙が含まれる訳だから これを選別するのに極めて神経を使うのである。かつてメールを頂いて返事を書かない、あるいは、掲示板のRes.をしないとか、返礼に伺わない・・と言った無礼をした事は、皆無だと自負している。それは、人として最低限のマナーだと思っている。が、近頃見間違えて消去してしまい 返書をせずに無礼をしたのでは と言う不安が 常につきまとう。これが、極めて神経を苛立たせる。個人名で もっともらしい挨拶が記されている物等には、随分と思案する所以である。一応のウイルス対策は、してあるが 絶対は無いのだし、メール各の受信ポストも細かく仕分けしてあるのだが、これも巧妙にすり抜けて来る物がある。
 先頃載せて頂いている ある大手のサイトから、「名簿が盗み出された」旨の連絡があった。直後から 確かに急激に増えたように思われる。メールアドレスを変更するのが最良の手段との指導であったが、HPにアドレスを記載している以上 それを拾って送りつけて来るメールも有る現実を考えると いつかは同じ結果に成るのではと考えてしまう。その時は 又変更するしかないと言う方もいるが・・。ご厚情頂いている方に その都度変更のお願いをするのは、極めて心苦しい。
 多分、大部分の方が同じような被害を被っているに違いないと思われるが どのように対処為されておられるのか 是非お教え頂きたい。
便利な物にはそれなりのリスクがあり、対策をこうじればそれを越えた悪知恵を働かす輩が出るのは 何事であれ常の様だが・・。年々この手の煩わしさに掻き回される愚かさを 時々考えてしまうというのが、正直なところである。

2005.06.10 あやめ・菖蒲・カキツバタ

 正直なところ、未だに区別がつかない。
いや、あまり識別しようという意識が 働いた事がない。私にとってどれがどれであっても さしたる支障も関心も無く過ごしてきた。それ程 花に無知だと言う事だ。先日ひょいとそんな話に成って、調べてみた。
http://www.bunkoya.com/garandou/garan2.html
http://www.geocities.jp/norikosinnji/coramu/coramu8.html
http://www.geocities.jp/norikosinnji/coramu/cor...
http://www.city.tonami.toyama.jp/hana/shoubu/shoubu.html
 花びらの付け根の部分が 黄色なのが「花菖蒲」、白なのが「かきつばた」、編み目のような模様なのが「あやめ」ということか。
 なるほど なるほど・・。その時は 分かったような気がした。だが今日見かけた時にはもうそんな事は 全く忘れて撮っていた。覚える気がないのか、記憶力が弱いのか・・どちらも確かな事だが 区別等私にとってどうでも良い事のようだ。今更 花音痴を治そうと言う気にも成らない。以前は花に目があまりいかなかったが 最近「綺麗だなあ」と立ち止まるように成っただけでも大いなる進歩だと思うのだが。単なる年の為かも。(笑)
 ついでながら最近異常に「カタカナ」名の花が 多くなったように思えてますます混乱している。もっとも 桜の種類にしても 静岡県三島市の遺伝学研究所には 260種の桜が集められているそうで驚きである。名前は覚えられなくとも せめて花の美しさが 感じ取れるような柔軟な心と余裕を持ち続けたいものだと願っているこの頃だ。
 花の表示に誤りが有ったら、お許しを頂きたいという弁解でもあります。

2005.05.21 富士見町の茅葺き民家

長野県富士見町の茅葺き民家は、全く予測もしない偶然の出会いであった。
八千穂高原からの帰路、時間に余裕が有ったので 高速に乗らず少し林間のドライブを楽しんだ。何回も通った事のある道だが この日突然神社の茅葺きが目についた。茅の色に誘われ 何とはなしに側道にかなり入り込んだ。それが、幸運だった。美しい手入れの行き届いた神社であった。屋根そして見事な桜の大木に 桜の季節に是非寄って見たいものだと見上げていた。何気なく振り向いた時、3軒の茅葺き屋根の集落が、目に前に飛び込んできた。
 茅葺き民家は、殆どの場合 それなりに目安をつけて出向くのが普通で この日の様に予測無しの突然の遭遇は 滅多に無い事である。胸の高鳴りが聞こえて来るような 久しぶりの興奮を覚えた。
 最初のお宅は、商家かと見間違うほど洒落た佇まいであった。それはそれそれなりの生活の知恵が為せる技で この家の主の粋な性格が感じられ 嬉しく感じながら撮らせて頂いた。2軒目を撮らせて頂き 3軒目(3枚目)のお宅を尋ねた時 挨拶に入って行くのを躊躇した。だが、どうしても3枚目が欲しいと言う姑息な思いが強く 黙って撮影させて頂いた。「・・・・・。」
 近頃しばしば思うのだが、己の生涯を過ごした家で最後まで生活し、他人に手数をかけずに 静かに眠りにつきたいものだと。出来る事なら 病院の床の上や あるいは養老院の片隅で旅立ちたくは、無いものだと。実際は、そんな安易なものでは無いかも知れ無いし、願い通りに行くかも分からぬ事だが。
 この家の主の強い意志と人生を垣間見た思いがした。己が人生をしっかり踏みしめて 誇り高く生きているであろう日々を・・・。
 小淵沢から高速に乗った。家に辿り付くまでの間 何も見えなかったし 何も聞こえなかったような気がした。ただ ひどく疲れを感じた。

2004.10.27 茅葺き民家本州全都府県UP

 震災に遭われた新潟県の方々に深くお見舞い申し上げます。
 1日も早い復興を心よりお祈り致しております。

新潟県山古志村は、私にとって意識して茅葺き民家を撮るように成った いわば原点とも言うべき村だ。前夜 関越道堀之内IC(PA併設)で疲れ果てて車中にて仮眠した。外の物音に起こされたのは、未だ朝の4時前後だったように思う。微かに東の空が明るんで一斉に車が、動きを始めたからだ。
特に何処に行こうと言う当ては無かった。何処か遠くに行ってみたいという衝動だけで飛び出して来た。用便を済ませトイレの入口に来た時壁に貼られた1枚のポスターが、最初に目に飛び込んできた。「闘牛と錦鯉の山古志村」というものだった。「行ってみよう。」とその時俄に思った。

 国道と別れ山古志村への道を取った頃には、山の頂が赤く染まりだしてはいたが、谷間の道は霧に包まれてヘッドライト無しではまだ走れない状態であった。私が取った道がどの道であるか定かでは無いが、当時舗装はされてはいたが、農道と言った感じで緩やかに 曲がりくねって登っていた。僅かな道のりで有ったかも知れないが、対向する車も無く 一向に現れない人家に 初めての旅人は狼狽し 思いつきを悔いた。ようやく霧の層を抜け やや小高い丘陵地帯に出た時 朝のまばゆいばかりの光を浴びた鮮やかな緑色の棚田が、突然眼前に広がった。かって田圃がこれ程に美しい物だと感じた事が有ったろか。まるで一流の庭師が造園したかの如くに 畦の樹木が、誇らしげに天を突き 見事な調和を成していた。私は、車を降り 深呼吸をした。何故か、棚田を撮ろうと言う考えは浮かばなかった。いや、その美しさに圧倒されていたと言うべきだろう。
 道の下に5ー6軒の茅葺きの集落を見たのは、その時であった。それ以前から茅葺き民家に出会うと風景の1つのアクセントとして 何とは無しに撮ってはいたが、それ以上の物では無かった。不思議な事にその時、隅から隅まで歩いて5分も要さない距離ではあるが、1軒1軒を訪ね 図々しくも声をかけている自分がいた。早朝だった事もあり どのお宅も家人はまだ家におられた。どなたも人なつっこい 話好きな穏和な人達だった。それが、私にとって幸いだった。
 
 あれから15年あまり、出掛ける度に茅葺き民家を絶えず意識しながら旅をするように成っていた。あの時の感動を味わいたくて・ただそれだけの理由で。
 
 今回で まがりなりにも 私の出会えた(ほんの1部であるが)、本州の全都府県の茅葺き民家の更新を終えようとしていた。そこへ飛び込んで来たのがあの 山古志村の厳しい惨状であった。何という偶然か。私はこの偶然を呪い、何か強く責められる思いがして、ここ3日思い悩んだ。今日も朝から何故か、何かを書かねば成らないと言う気持ちが支配して、何も手に着かない。こうしてPCの前に座り続けているが、何度書いても自分の思いを書き表すことが出来ない・・。書いては消し 書いては消しをもう何度繰り返した事か。

 もう、私が如きが、駄弁を記するのは止そう。
ただひたすらに あの美しい山古志村の1日も早い復興に 神のご加護の有らん事を祈ろう。


2003.12.20 石の上にも3年

 お粗末極まりないHPをUPしてから満3年が過ぎた。何はともあれその間健康で過ごせた何よりの証拠で その意味では、意義が有ったと思っている。何事につけ常日頃周りの者に口癖の様に言ってきた「継続は力・石の上にも3年」をつまらない事ではあるが、実践し得たと言う事にほっとしていると言うのが、本音だ。幾度もこれで良いのかと己に反問もした。無理に無理を重ね、恥に恥の上塗りも重ねた。思えば 3枚1組等と言う身の程弁えぬ構成や スキャナーの扱いも満足に出来ず、容量もサイズもバラバラであったし、ファイル番号も適当であった。(それが、今日混乱を招いているのだが)更新だけは、3年目から要約自分で何とか真似事が出来るように成った(?)。それ以上の事は今もって何も分からない。1回もイメージチェンジはおろか、更新以外一切手付かずのまま通してしまった。少し妙な現象が起こればたちまちお手上げで、管理者に依存する有り様だ。1歩も進歩しないままに過ぎてしまった。情けない限りだ。(述懐)
 

 ただ幸せであったことは、多くの温かいメル友を得、あれこれとご指導とご交情を頂き、励まされて 何とか歩み続ける事が出来た事です。誠にご無礼では御座いますが、この場を借りて深く御礼申し上げます。これからは、刑期も過ぎた(笑)事ゆえ、何処まで歩けるか見当もつきませんが、のんびり ゆったりと 行ける所まで歩んで見たいと思っている次第です。

何卒今後とも宜しくご指導・ご交情の程切にお願い申し上げます。
              平成15年12月20日 狩野川 流石        


2003.10.20 棚 田 への思い。

「静岡新聞・平成15年9月18日夕刊より転載」



■この記事の転載に関しては、静岡新聞編集局情報調査部の承諾を得ておりま す。(2003年10月28日PM5:00時)■

「全国棚田連絡協議会」なるものが発足した平成7年9月以来「棚田」に関心を抱く人が多くなった様に聞いているが、誠に嬉しい事だ。その協議会の主意書に寄れば(以下引用)「日本各地には山から流れ出す水を蓄え、ダムの代わりを果たしながら稲を育て日本の国土を守り命を育んできた棚田(千枚田)があります。急峻な山脈に棚のように、また、山の斜面や丘陵地に段々と折り重なり、その曲線美を見せる四季折々の棚田の風景の美しさは、はるか太古の昔から日本農業の原点として日本人の心に潤いとやすらぎを与えてきました。しかし、全国1千余に及ぶ棚田は、経済効率重視の風潮や担い手の減少などにより荒廃化が進み、今や存亡の危機に直面しています。(以下省略)」とある。誠に厳しい現実が、そこにある。確かに品種改良・農薬の開発・機械化等に寄る経済効率は、上昇したかに思える。結果米余りによる休耕田が割り当てられ補助金が出るかに聞き及んでいる。だが、農薬の開発は何をもたらしたか、機械化による労働の軽減は喜ばしい事だが、農家の経済的負担はどうなのだろうか。自国で消費する食料は、自国の生産で賄えるのが鉄則であると、小生等は思うのだが、農業がより魅力的な物で有るような、本当の意味の國の農業政策が、真に行われてきたか疑問に思われてならない。工業化一遍に偏り、先進国ともてはやされ、急速に発展してきたかに思われるこの國であるが、バブルがはじけ、空洞化が進むと言われる昨今、今こそ真の國の有り様を考え直す時の様に思われてならない。※引用させて頂いた「全国棚田連絡協議会」のHP。
尚僭越では有るが、上記静岡新聞の記事に見られる、新潟県・松之山町の棚田のほんの一部は小生も見せて頂いた。(下:石川県・輪島・千枚田1983年)

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2003.10.01 変わりゆく風景

私事であるが、この急峻な茶畑に囲まれた民家の風景が好きで、20年以上も前から度々この地を訪れている。ある年 俄にトタンで覆われた光景に接し呆然と立ちつくした。誤解を招く恐れがあるので、極力私感の記述は避けるが、茅葺き民家に魅せられて、撮り歩いて来た者にとっては、寂しい現実がそこにある。最近茅葺き民家に接する度に 諸々の感慨が脳裏を駆けめぐり シャッターを押すのに時を要する事が多くなった。従来にも増して 単に己が趣味とか、写真効果云々とかに関わる事無く、成るべく正確に記録しなければと自らに言い聞かせて(力量不足ながら)撮らせて頂いている。
 機会が有って横田幸子氏にご無理を言い 私の拙い写真をモデルに氏のイメージに沿って茅葺き民家を描いてもらった。誠に素晴らしい絵で感動した。  如何に生活様式が変わろうとも 日本特有の四季の自然を愛し 近隣と互いに助け合う豊かな日本人の心だけは、持ち続けたいと願うばかりである。 
皆さんは、何を感じ 何を思うだろうか。

 

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2003.3.21 茅葺き民家100軒UP。

「茅葺き民家に」魅せられて、さしたる目標も無く、ただそののどかな心休まる雰囲気に浸りたい一心で 尋ね歩いている間に思わぬ軒数に達していた。
 載せさせて頂いた都道府県19(実質24)・撮らせて頂いた軒数 およそ600軒に及んでいた。これ以上遠方まで見せて頂く気力も体力も最早無いが、お願いして撮らせて頂いた残り約25市町村は、順次載せさせて頂くつもりである。ただ何分にも素人の悲しさで、これまで以上に撮り損ないの失敗作ばかりで家主様の誇りを傷つけるのではと心配をしているのが、正直なところでる。
 少なくとも撮影時点において、お住まいに成っていない民家・保存住宅・指定文化財・商家及び季節、アングルを変えた写真など重複掲載は、無いつもりだ。(例外:福島県内山宿・富山県の1部 又後年福島県舘岩村等は、有料に成ったかに聞き及んでいる。)保存される事は、茅葺き民家を愛する者にとって願ってもない大変嬉しい事だ。ただあくまでも撮影時点では、活き活きと生活している民家に拘るのは、私に取っては「あの時」と変わらない。

私の技術の未熟さで、素晴らしい景観を再現出来ず誠に申し訳御座いません。現実は如何に素晴らしい物であるか、少しでもご想像の資と成れば幸いです。
 
 最後に成りましたが、お許し頂いた家主様、ご案内頂いた方々等、改めて深くお礼申し上げます。ありがとうございました。 

2002.9.20 落日に三感の思い。 加山雄三さん

◎静岡新聞 14年9月20日 朝刊より。以下一部抜粋引用。◎
 {モーレア島沖に輝きながら沈む夕陽は雄大で、時を忘れさせるほど。伊豆西海岸の夕陽もそれに匹敵する。・・・緑に包まれた入り江、林立する奇岩、青く澄み渡る海、私が心に描いてきた海がここにはある。
 私たちはなぜ、夕陽に心を奪われるのだろう。遠い昔から落日は一日の終わりを意味してきた。落日に向かう時、人々はその日を振り返り、遠い行く末に心する。私はその中に「感心する」「感動する」「感謝する」という三感の心を思い起こす。 私たちは「逆行」の光の中にこそ素直な気持ちを投影することができるのではないだろうか。}

 さすがに一芸にも二芸にも秀でた人の言う事は、名言と言うか、名文というか、説得力がある。明快な分析とでも言うのが正しいかも知れない。何やら心の中を見透かされた様な思いがした。老いぼれ人間ではあるが、常日頃小生にもある三感の言葉を更に心に留め、素直な気持ちで対峙していこうと思った次第。どのみち良い写真等撮れるはずもなし、今日の健康に感謝して落日に酔おうと思う。 
 


2002.8.7 夕陽評論家・油井昌由樹さん

以下 FUJICHROME NEWS (VOL.12 2002)より抜粋
 「いったい、夕陽評論家ってなにをする人?その正体は、黒沢明監督の映画"影武者"で徳川家康を演じた俳優、油井昌由樹さん。夕陽が大好きなあまり、自らこの肩書きを名乗っているというわけです。瞳を輝かせながら夕陽と写真の話をする表情は、まるで少年のよう。 以下省略

夕焼けに出会い何事も感じ無い方は、まずいないでしょう。

幼き日、終日川に入り泳ぎ、箱めがねでハヤを追った日々、川面が赤く染まり驚いて見上げたあの夕焼けの美しさは、子供心に強烈に映じた。親父に叱られると慌てて帰ったあの日の空の輝き。

学生時代、踏切で通り過ぎる列車を待つ間、ビルの間に黄金色に燃える夕陽の寂しく、悲しい程の輝きを見たあの日・・・。

誰もがそうした美しい夕陽の思い出が、あるに違いない。

油井氏同様近年私も夕陽の美しさに魅せられている。私の場合多分そうした思い出の一つ一つを手繰り寄せて、若き日に思いを馳せているのかも知れない。

落日は、常に繰り返されているのだが、場所によって、天候によって、季節によって常に違うのである。1年に1回だろうと思われる異常な光景もあれば、3年に1回位だろうと思われる信じがたい落日もある。そんな光景が今日である事を常に願うのであるが、めったにそうは成らない。しかし落日は、常にドラマティックで、妙に寂しくもの悲しくさえ感じるのは、何故であろうか。

 写真という事になれば、未だ1枚も現実を写し撮れない己が力量を、地団駄踏んで悔しんでいるばかりであるが。

 サロマ湖の四角に見えた落日、何処やらで太陽が二つに割れた様に見えた落日。そんな落日に明日は出会えないものだろうか。

  
 


2002.7.10 (掲示板590番の)貴女へ

> 今日は、とても良い日でなかったのです。
> ふと、、思いだして、、ひさびざに
> 落日を観させていただき、、大好きな夕日をじ−と
> 観てましたら、、涙が、、ありがとうを言います。
> ほんとうに助かりました。

 直美様 はじめまして。
 どんな悲しい出来事が有ったのでしょうか。

 どこにお住まいか、お年はお幾つぐらいか、メールアドレスさえ知らぬ貴方の悲しさが、どの様なものであったかも分かりませんので、掲示板にはあのように差し障りなく記すより仕方なっかったのですが、とても心苦しいものでした。
 今も貴方が、元気を取り戻して頑張ってくれているだろうか、悩み続けてはいまいか・・・とても気になっております。

 私の様な拙い写真を見て、涙する貴女のお心を想像し、胸の痛みを禁じ得ません。どんなにか辛く悲しい出来事が有ったのだろうかと・・・。私は啄木並にとは言えませんが、「心痛みて耐え難き日」は、海を見に行きます。沈みゆく夕日にシャッターを切る事さえ忘れ、見入る事もしばしばです。そして日は、明日も
上るに違いない。明日こそ良い日でありますようにと祈り、そう信じて帰ります。どんなに悲しい日が有ろうとも、その流した涙が、思い出として楽しく思い出される日が、必ず来ることを信じます。意味合いは違っても「涙とともにパンをかじった者で無ければ、人生の味 は分からない。」とは、確かの様に思います。悲しんで、涙して人は大きくなり、人に優しくなれるのでは無いでしょか。
 気ばかり先行して、まとまった思考が出来ませんが、どうか悲しみに負けず
明日を信じて、いつかを信じて、お互い歩き続けましょう。
 貴方の幸せなお言葉に接する日を 心より待たせて頂きます。

2002.4.8 四季の変化

 今年の桜は、異常な早さで咲き始め、足早に駆け去っていった。
何やらもの悲しく、哀れさえ感じたのは、私だけであろうか。雪国では、春先色んな花々が一斉に咲くことは、良く知られているが、伊豆等では、梅が咲き、菜の花が咲き、桜が咲くというように毎年一定のプロセスで順次咲くのが通例であった。ところが今年はどうだ。一斉に咲き出した。何も順次写真を撮れなかった事を悔やむものではないが、一つ一つ季節の移ろいを感じながら、味わいながら
日々を過ごしたかった思いは残る。

 従来日本には四季があり、そのおのおのに独得の風情が有り、またそれに即した生活習慣が有る、有った訳だが、それさえも失われて行くのだろうか。ストーブか扇風機かどちらかの生活、今流に言えばエアコンを1年中回しているような生活は、何とも味気ない思いがする。寒い冬が有るから春の芽生えが美しいのであり、暑い夏があるから秋の紅葉が、はかなく美しいので有る。

 今年は、勢い何やらせかせかと追われるような日々であった様な思いがしてならない。もっと時が緩やかに、穏やかに流れる事を願うばかりである。四季が、後何巡残されているのかをどこかで意識しているのだろうか。

 散り終えた桜の下をぴっかぴかの1年生が、入学式に通って行った。

2002.1.15 老いるという事

 老いるという事は、悲しいことだ。

体力(目・歯・耳・足・腰・そう何よりも記憶力等も含む)の衰えは、隠しようもない現実を生活のあらゆる場面で突きつけられる。例えば、昨日まで2階まで持ち上げられた灯油缶を今日は持ち上げられないと言う場面に、ある日突然ぶつかるのだ。こんなはずでは無いと焦るのだが、それが現実で有る事を認識したとき、言葉では言い表せないほどの寂しさを感じるのだ。

体力だけではない。総じて視野が狭くなり、強情になるようだ。客観的に物事を判断する能力が、衰えるらしい。えてして偏屈になり他人の過ちを許す寛大さや、場合に寄っては善意を悪意と捉える曲折した判断さえしてしまうようだ。

体の衰えを防止するには、節制し鍛えたところで限界も有ろう。だが前述のような思考の老化だけは、何としても避けたいと思うこの頃である。いつまでも柔軟な思考が出来てこそ長生きする意味が、有るように思うのだが。

2001.12.22 もう1年たちました。
 早いもので12月23日で開設1周年を迎えます。
 何はともあれ、健康で、楽しく1年を過ごせたと言う
 何よりの証拠で、その意味で喜こんでおります。これも
 皆様方の暖かいご指導、ご交情、励ましのお陰と衷心
 より感謝、御礼申し上げます。拙い未熟な写真では御
 座いますが、今後とも精進致す所存ですので、倍旧の
 ご指導の程切にお願い申し上げます。有り難う御座い
 ました。 
      平成13年12月22日  狩野川 流石

2001.11.9 秋なのに。

お休みの度に天気が悪い日が、9月、10月と続いた様に思われる。日曜写真家にとっては、不運な秋であったに違いない。

年のせいか妙に幼き頃の秋が、懐かしく思い出される昨今である。抜けるような澄み切った青空に、葉を落とした渋柿が、枝が折れんばかりにたわわに実り、それを狙ってモズが、甲高い声で叫び、赤トンボが群飛し、悪童共の山栗を漁る声が、色付き始めた山々にこだましたあの頃を。

何が変わったのだろうか。森はゴルフ場や、住宅団地に削られ、道も川岸もコンクリートで固められた。牛車に代わって、耕耘機が、棚田を楽々と登っていく。便利になった。楽になった。それが文明と言う物だろうか。あの頃、車座に道の真ん中に座り、口に入ったアケビの種をぷいと吐きチラした道を、子供らが重そうにランドセルを背負い、左右を確認して渡って行く。文明とは用心深く、神経を磨いて生きることのようでもある。

別に文明を、現代を批判するつもりは毛頭ない。だが、今年のように異常な暑さの後、いきなりの寒さの到来には些かまいった。何か地球環境が、急激に変わったとしか思われない。それが何に起因するのか考えなければならない時期に来ている様にも思われる。いや既に手遅れかも知れない。

そう言えば、今年は、駿河湾では、小魚さえ釣れなかった。ちょっと前まで群れていた「たかべ」も、「むつ」も、いや「小あじ」さえ釣れなかった。「太刀魚」も釣れたと言う話は聞かない。これで「ヤリイカ」が釣れなければ、最早老人や子供の堤防釣りの楽しみは無くなる。海釣りを止めて、やたら増えた湖の「ブラックバス」とやらに転向しろというのだろうか。私の少ない趣味の一つは奪われた。

手紙を書くことを止め携帯電話で話し、沢山のテーマパークとテレビとデジカメとPCで遊べと言うことなのだろうか。何やら寂しい思いに駆られるのは、私だけだろうか。老いのなせる為だろうか。

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